ところが、そのジャービス先生が、急に病気でなくなってしまいました。
悲しみにつつまれた子供たちは、いつかこんな相談をまとめていました。
「先生の亡くなった日には教会へ集まって先生のお話をしよう」
「そのときは、先生のお嬢さんのアンナさんをお呼びしよう」
やがて、先生の命日が来たとき、子供たちは、みんな教会に集まってきました。
そのとき、アンナさんは、まっ白いカーネーションの花たばをかかえ、
亡くなったお母さんへ、捧げたのでした。
この話が次第に広まって、
お母さんにお礼をいう日を作ろう、ということになり、1908年にアメリカのシアトル市で
初めて母の日が開かれたのでした。
そののち、母の日は正式にアメリカの国会で、5月の第2日曜日と決まりました。
母の日とは違って、国会では、決められませんでしたが、6月には父の日というものがあって、アメリカのこよみには6月の第3日曜日は、父の日と書かれています。
カーネーションが、母の日に選ばれたのは、
この花が母性愛の象徴とされているからだそうです。十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙の後に生じた花という言い伝えがあるらしいです。
また、中央部の赤はキリストの体から散った血の色ともいわれる。
古代ギリシャ人が、オリンパス山の神々の主神ゼウスに捧げたとも伝えられるように、この花は昔、花冠を作るのに欠かせなかったところから花冠、花輪を意味するラテン語CORONAにちなんでCARNATIONと名付けられたという。
アメリカでは、小学生は2日前の金曜日にこの日を学校で祝い、当日は、母親に贈り物をする場合もある。
日本に母の日が伝わったのは、1915年(大正4年)。当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により紹介され、婦人矯風会などキリスト教関係の団体が中心になってこれを広めました。
特に、盛んになったのは戦後で、全国未亡人団体協議会が未亡人会や母子寮の授産所で作った赤、白のカーネーションを全国に売りさばいて資金を作り、全国的に行事を行うようになってからです。
しかし母のある子は赤、ない子は白、とカーネーションに区別を付けることは「童心を傷つける」という声も多く、特に義母に育てられた子は「どちらをつけたらよいか迷う」場合もあり、全未協では赤一色に統一しています 。
参考。文章引用
http://www.hahanohi.org/data/cyumoku.html#anchor511063
カーネーションもいいけど、こんなのも、いかがでしょうか?